(25)「何もできない私に気がついた私」

なんだかんだといろいろあって、強制送還になって日本に帰ってきたのですが、アメリカ大使館に行ってグリーンカード申請をしたのですが、すると2ヶ月くらいですぐにグリーンカードが取れました。

その頃、妊娠していたので、そのことを書いたからなのかどうか?

父がアメリカ大使館に知り合いがいて、早くしてくれるように頼んだとか頼んでいないとか?

とにかく、3ヶ月後にはグリーンカードを取って、アメリカに戻りました。

グリーンカードというのは、アメリカで申請すると2年の期限つきの、なんかインターンみたいなビザなのですが、日本からグリーンカードを取ってアメリカにいくと、その期限つきがなく、10年のグリーンカードが発行されます。

ということで、3ヶ月後にはアメリカに戻りました。子持ちししゃもの状態で。

その後のことは、このシリーズのどこかに書いたよね?

そこに今やっと戻ります。

私は、その英会話学校の中では地位をあげ、豪邸にすみ、「人生ゲームのゴール」に到達したと思っていたのですが、

アメリカに行ってみたら、英語も対してできない、経理もできない、できるのは「営業」だけ、という状態だったことに気がつきました。

アメリカでは妊娠していても働くのは常識らしく、日本人はそうでない人が多いのですが、とにかく、カナダで豪邸に住んでいた私は、最初の仕事が誰にでもできる電話オペレーターだったのですが、子供もいるので楽な仕事がいいとは思ったのですが、ブライドずたずた、悔しくて仕方なかったことを覚えています。。。

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(ゴールを目指して、100人いいねが続く限り、多分続く)