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脱サラシリーズ(32) 「転職で給料上げるぜ!」

アメリカの常識の一つは、「転職して給料あげていく」です。日本はやっぱり、違いますよね?コメントでもそう書いてありました。「日本では転職する人はいい加減な人だと思われる」と。 日本とアメリカ、やっぱり違いますよね。 でも日本はアメリカを真似していく傾向があるので、少しづつそれも変わっていっているんではないでしょうか? 私は周りを見て「給料は同じ会社では上がらない。転職しかない。」と言うことを学びました。 だから、数年で会社を変える人は結構多く、ある程度の技術や知識を必要とするポジションだと、会社も給料をあげていかないとキープするのが難しくなります。 そう言うこともあり、「ファイナンス」や「IT」などの知識があると強いと思います。 そういう私も銀行をやめて自営業をしているので、銀行の将来に危機感があったのではないか、とも思われるかもしれませんが、今のところクレジットアナリストと言うポジションはなくならないと思います。 なぜかというと、アメリカの金融関係の仕事は無くさないような動きがあるからです。 だけど事務的な仕事はやっぱり解雇されています。3つの銀行で働きましたが、全ての銀行でオフィスの従業員の50%くらいが解雇されていました。クレジットアナリストは省略できないので全ての銀行で無事でした。 例えば、ある程度お金のある銀行に対しては、アメリカ当局が銀行にお金を使うように仕向けている感じがします。 大手銀行は、大手格付け会社が売っている会計ソフトウエアを何億円も出して買っているのでそれをつかって格付をすることもできますが、米当局がコンピューターに頼るだけではいけないと言うふうに規制しているので、リスクマネージメントである稟議書を書くと言う作業はなくなることがありません。 大手の監査法人が銀行の監査の一人当たりの料金は、10年以上前でも1時間1500ドル、15万円ぐらいでした。 アメリカ当局が検査をするから色々お金がかかります。 会計監査法人も、アメリカ当局のおかげでたっぷり儲けることができます。 この世の中というのは、コストカットで全部AIで、というだけではなく「ディープステート」とまでは言わなくても、やはり権力のある組織がお金を使わせるところを決める、というところがありますよね。 ちょっと話がずれましたが、 アメリカで給料をあげたい時、最終的に思ったのは「コネ」が一番強いです。 会社も全く知らない人を採用するよりも、従業員が過去に働いていて、その人の働きぶりを知っている方が使える人材を集めることができるからです。 信用もでき、かつ、人材派遣に払う高額な費用も払う必要がありません。 その次によく使われるのが、「LinkedIn」です。 日本では流行らないようですが、アメリカではほとんどの人がLinkedInで仕事を探します。 LinkedInには自分の履歴書を貼り付けて公開する、というものですが、日本ではそれがプライバシーの侵害のように感じて怖いのかもしれません。 でも、アメリカでは年齢や家族のことは書きません。私は日本の履歴書に年齢や家族のことを書く方が恥ずかしく思いますし、「関係ないじゃん!」とキレそうになるので日本の会社に申し込みができないと思います。 私はいまだにLinkedInのアカウントを持っていますが、銀行をやめてもう2年以上経つのに、いまだに「クレジットアナリストのポジションの面接を受けませんか?」という連絡がきます。 私の場合は、元同僚のコネで転職していました。…

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脱サラシリーズ(31) 「クレジットアナリストの仕事とは?」

日本には私がアメリカにある銀行でやっていた「クレジットアナリスト」の仕事はないんですよね。アメリカでは、クレジットアナリストで仕事が見つからないことはないです。 なぜかというと、アメリカ当局の銀行にたいする検査が厳しくて、そこで手を抜くと何百億円単位の罰金や営業停止と言うことにもなるからです。 アメリカ当局の銀行に対する検査が厳しくなったのも、2001年に破綻したエンロンの不正会計や、911同時多発テロのマネーロンダリング問題からです。 半沢直樹をみていたら、パート1の最初の方で支店長が「急いで稟議書を書け」と言って中西が書いたものを勝ってに審査部に送ってましたよね? 半沢直樹では営業の人が稟議書を書いていましたが、アメリカの場合は営業と稟議書を書く人は別にした方がいい、と言うことで、営業の人が持ってきた案件をクレジットアナリストが書きます。 アメリカの銀行の場合は、検査するのはOCC (Office of the Comptroller of the Currency 通貨監督庁)ですが、アメリカにある日本の銀行、つまり外国銀行の検査をするのはFRB(Federal Reserve Bank 連邦準備銀行)です。 私はアメリカの銀行でも日本の銀行でも働いたことがあるのですが、ある日本のメガバンクは日本からきた駐在員の方が営業でした。 そして、私は日本で上場した会社のアメリカで進出している子会社にお金を貸すための稟議書を書いていました。 基本的に稟議書が必要なのは、1億円以上くらいだったので、私が担当するローンの枠は大体1億円から600億円でした。 OCCやFRBのルールにそって稟議書を英語で書くわけなのですが、毎年そのルールは変わります。 しかも、検査で指摘事項は言われるのですが、その指摘もぼやっとしていることが多いです。 逆に言うと、あまりはっきりとした数字でルールを言ってしまうと、銀行が貸せない状態になるから、とか考えているのだろうか? だから、例えば「レバレッジをもっと厳しくチェックするように」と言われても、どの数字が厳しいと言えるのか、それはそれぞれの銀行が決めます。 それにOCCやFRBが気に入らなければ注意事項となって検査結果が悪くなるのですが、どこまですれば「優」がもらえるのか分かりません。…

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脱サラする方法 (30) 給料を上げる方法?

「給料をあげたい」と思っている人いますか?給料をあげようとした時、どうしたらいいと思いますか? 私もアメリカに引っ越して、安い給料の仕事しか見つからなくて、どうしたらいいのか考えました。 日本でなぜ給料がよかったかというと、「営業」だったからです。 私も営業が得意、なんてさらさら思っていませんでしたが、人間やってみないと分からないもんですね。 会社側の目線で考えてみれば簡単なことで、会社にお金を持ってくる人が一番偉いです。 当時私は子供もいて残業はできないし、元旦那さんは女が営業をすることに反対していたし「営業」はできなくなりました。 元旦那さんがいうには、「女が営業すると危ない」と言っていましたが、枕営業するわけでもあるまいしそれは疑問ですけどね。 そうしたら、そのほか給料が上がる方法はなんだろう? そもそも、誰でもできる仕事だったら、給料は上がらないですよね? 私は当時こう思っていました。 なんでもいいから、「私はこれができる!!」というものが欲しい。 いくら会社に「給料をあげてほしい」と言っても、会社側からしたら「能力が同じなら安い人を雇いたい」というのは道理にかなっていると思います。 給料だけじゃなくて、自分自身に対しても「私はこんなに馬鹿でも、この分野では自信がある!」というものが欲しかったんです。 私は大学は日本文学科だったのですが(あんなに漢字間違えるのに?笑)偶然銀行に入って、ただのアシスタントで、それなら学校に行って会計のクラスをとったら、何か変わるんじゃないか?と思いました。 何も変わらないとしても、「私、会計できます!」と言えたら自分の自信にもなるかもしれない。 でも、子供が小さいし、元旦那さんの仕事は忙しいので子供の世話はほぼ私でフルタイムの仕事もある。 こんな状態で学校なんていけないよな。 そもそも、アメリカの大学の授業料は、公立でも1年150万円、私立で1年500万円(マジです)それに寮の費用が年に約150万円です。 お母さんの大学の授業料払うよりも、逆に子供の大学用の投資をするべき時です。 子供の大学費用のための投資には、税金の免除が受けられる「529プラン」と呼ばれるものなどがあり、私もそういうのをしていました。 だけど、お母さんに授業料って、無理ですよね。 しかも働いているので、夜のクラスをとるか、オンラインクラスをとるしかありません。 アメリカは日本と違って、オンラインクラスは20年前から充実していて、大学院も選ばなければオンラインで卒業できます。 日本の大学に行っているのだから、会計専攻の大学院にいけないだろうか?と思いましたが、1クラスが1500〜3000ドルぐらいで高すぎました。 そこでその10分の1の1クラス(5単位)150ドルくらいのコミュニティカレッジのオンラインクラスをとることにしました。…

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脱サラシリーズ(29) 「世の中ってもしかして馬鹿なの?」

私は結構早い段階で海外の駐在員になって、そこそこいい給料だったのに、アメリカに引っ越した途端給料の高い仕事をできず、何もできないことに気がつきました。 それは、子供がいたこと、アメリカに引っ越したばかりと言うことがありましたが、私のプライドはズタズタになりました。 そういう状況だったので時間がいつの間にか経っていきましたが、ある時働いていた電話会社のオフィスが移転することになり、娘の保育園のお迎えに間に合わない場所になったので仕事を探すことにしました。 働くママにとっての働く条件は、「5時にピッタリ帰れること」です。 これもなかなか難しかったのですが、たまたま人材会社に紹介されたのが「日系銀行のアシスタント業務」でした。 私は銀行の経験もなかったけれど、アシスタントだったのでよかったみたいです。 こうして偶然銀行で働き始めました。 アシスタントだったので、雑務ですが、いろんな銀行の計算をしたり、アメリカの新聞を読んで日本の本社へレポートすることなどでした。 数字の計算は意外と楽しかったのを覚えています。 大学は文系に行ったのですが、高校はなぜか理系でした。 家の事情で高校2年生で引っ越して一番近い高校に言ったら理系しか空いてなかった、と言うだけのことだったんですが、毎日2時間数学のクラスがありましたが結構楽しかったです。 そういえば今回も、引っ越しで銀行か。なぜか数字に呼ばれているような? 2時間くらい計算するような仕事をしたら、後の6時間はずっと新聞を読むような仕事だったのでとても勉強になりました。 2004年だったので、当時はリーマンショックのバブルを形成しているような時代です。 毎日6時間も新聞を読める人ってなかなかいないと思います。 ウォール・ストリートジャーナル、LAタイムス、日経新聞、と毎日読んでいました。 すると色々気がつくことがありました。 新聞の1ページ目にはメディアが操作したい内容が書いてあり、中身をよく見ると警告のようなことが書いてある。 例えば、リーマンショックが2008年に起こりましたが、2007年の新聞のトップには「今いえを買わない奴らは馬鹿だ!どんどん買え!」と言う見出しが多いのですが、中身を見ると「今バブルを形成している。いつ弾けるかわからない」 と言うようなことが書いてある。 私はそのころ、「メディアはこうやって一般人を操作するんだ」と気がつきました。 2007年に「この住宅市場はバブルで、弾けるのも時間の問題」と言うレポートを出しました。なぜかというと、新聞の中身にはそう書いてあったからです。 でも支店長は「そんなことあるわけないだろう」と言いました。 どうしてこんな簡単なことにみんな気がつかないのだろう? 人は「権力のある組織が言うことは正しい」と思うものなんだ、と思いました。…

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脱サラシリーズ (28) 「アメリカの恐怖のエレベーター」

今日はちょっと「アメリカと日本の違いって何だろう?」について話したいと思います。 というか、カリフォルニアはアメリカと言えるのだろうか?どちらかというと、多国籍の人が住む場所、という感じがします。 カリフォルニアで英語を話す人は、57%だけです。 白人は40%しかいません。 アメリカの内陸部とは全く違います。 家の近くにアメリカで一番受験の申請が多いUCLAという大学がありましたが、生徒の人種は、アジア人が一番多く38%、白人が34%、ヒスパニックが15%です。 多分これは日本人のイメージと違うんじゃないですかね? カリフォルニアにはいろんな人種がいるから、その人種でグループを作る傾向があります。 アメリカ生まれで英語がネイティブでも、です。 もちろん全員ではなく、そういう傾向があるということです。 差別があるのかないのか?といえば、あると思いますが、差別をする人もいればしない人もいます。 自分とは人種が違って文化や考え方が違うので、差別ではないのに扱い方が分からずに避けてしまう、ということもあります。 私がロサンゼルスで最初に驚いたのは、「外で知らない人が話しかけてくる」です。 日本では、というか、関東では特に、あまり知らない人が話しかけてこないですよね。 大阪とかだと、関東と違ってもっと人が話しかけてくる、という話は聞きますが、そうですかね? 私は「笑顔で逃げる」という必殺技を使っていたんですが、これがエレベーターの中だと逃げることも隠れることもできません。 「今日は天気がいいね!」とか、「そのバッグかわいいね!」とか言われても、日本でそんな風に知らない人に話変えられる経験値が少なすぎて、どう返したらいいかわからなかったんです。 最初の頃は英語も問題でしたけど、英語だけの問題ではないんです。 「バッグがかわいい」と言われても、日本人だから「このバッグ安かったんですよ!」と言いたいけれど、その答えは不正解で、「私もこのバッグお気に入りなの!」が正解だったり、 「おたくのお子さん、頭がいいですね。」と言われても「家では馬鹿なんですよ」と言いたいけれど、どうやらアメリカの人は、「ありがとう。本当にこの子は賢くて」と答えるのが正解だったりする。 エレベーターに男性が複数でいるときに、私がエレベーターに行ってしまって、全員のジェントルマンがエレベーターのドアを抑えながら、「プリーズ」と私を先に載せようとする。 やめてくれえ!私は九州男児の頑固な父に育てられたし、レディファーストには慣れてないんだよう! 私はアメリカに引っ越した当初、エレベーターに乗るのが恐怖となってしまいました。 流石に20年近くアメリカに住んだのでそういうことには慣れましたが。 アメリカ人でも「他の人種の文化に興味がある人」と「全く興味がない人」がいると思います。…

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(27)アメリカで働くママになる

私はロスに引っ越した時は妊娠していたわけですが、妊婦のまま就職面接をはじめました。アメリカでは妊婦でも働くのが当たり前ということと、(アメリカにいる日本人でもそうじゃない人が多いですが)、20代のうちになんでもいいからアメリカで働いているという経験がないと、子供が大きくなって自分40代、いきなりアメリカで仕事。。。あるか?と思ったからです。 私が思った通り、アメリカに住む日本人のママ専用掲示板ではそのような相談に溢れていました。 「子供が大きくなったので働きたいが、仕事が見つからない。」 でも、それ「仕方なくない?」と本音をいうと思いました。書き込みませんでしたけどね! だって、こっちはロスきたばかりで妊婦だけど20代のうちに経験積むために辛い思いして働いているんだから、そりゃ違うでしょ。 しかも、保育園は20年前でアメリカ人、というか、英語がネイティブの先生の保育園でも1ヶ月2000ドル、約20万円です。 場所が都会のロサンゼルス、ということもあったと思います。 私の給料は安かったので、さすがに20万円だとマイナスになってしまうので、英語がネイティブじゃない先生の保育園、メキシコ人とかアルメニア人とかの先生でしたが、の保育園で1200ドル、12万円くらいでした。 ロスは車がないと移動ができないので、車代、保険代、ガス代、と合わせるとお金がかかります。 妊婦の状態で車の免許をとり、住んでいたウエストLAからダウンタウンまでフリーウエイに乗って通いました。 日本では産休は1年とか聞きますが、アメリカでは3ヶ月までが普通で、早くお金が欲しい人や結構地位が高い人は2週間で戻ったりします。 そして、予定日まで働くのが普通なので、フリーウエイで産気づいて近くの病院でうむ、なんて話もたまに聞きました。 確かにアメリカの方が働きやすい状況もあるのかな?私も日本だったら働けなかったのか?とも思いますが、アメリカとは言っても、かなり根性ないと働くママにはなれません。 その仕事は給料の安い仕事だったので、正直お金的にはほとんど儲けがありませんでした。 それでも働いた方がいい理由がまだあります。 401Kです。 401kとは日本でいうNISAみたいなものですが、給料の3%から5%までなら自分がその401kに投資した分、会社が同じ金額を投資してくれるのです。 例えば、当時そのテレフォンオペレーターの仕事が年に300万円程度だったと思うのですが、5%の15万円を投資したら、会社も15万円払ってくれて、合計30万円投資できる、というものです。 もちろん、それ以上投資してもいいのですが、会社が払ってくれるのは5%の15万円までです。 ということで、私の米国株の投資はその時はじまり、お金が儲からなくても働いたほうがいい、ということで私は働きました。 後からアメリカに住む日本人ママの掲示板をみて、「私の判断は間違っていなかった」と思いました。 「10年、20年先をみて行動しよう」 これが私のモットーです。 なんつって。 よく考えると、衝動的に行動してそうじゃない場合もあるな。。。…

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(26)「人はなぜ離婚するのか」

ロスでの生活がこれから始まる話をするのに、もう今の旦那さんではないので、「なぜ離婚したんですか?」と思う人もいると思います。 娘が大学の寮に入った時、3年前の2017年に、離婚届を提出しました。 芸能人がよく「価値観の違いで分かれることになりました」といいますよね。 それです。 そういうしかないです。 「いい人だったんだけど、私には合わなかった。」 と言っておきましょう。 私は昔から大人しく見えていたので、元旦那さんは私のことをお上品な人と勘違いしたようです。 「思ったのと違った」というのはよく言われました。 それから「お上品になるための奥様トレーニング」が始まっていたような気がします。 ユーチューブでお分かりかもしれませんが、私は大人しいだけではないです。 結構大雑把ですし、お上品ではないです。 自分ではない人を演じて気に入られても、人生楽しくないんです。 それでユーチューブでは、「なるべく自分の地の性格を出そう」と思っているんですが、結果ああいう仕上がりになっています。 それでも地は出し切れていなくて、つい、「昭和のぶりっこ」みたいになっている時もあります。 「無駄話とか入れないで株の話だけして」という人もいますが、私は無駄話がしたくてしているんです。 くだらないことをしたくてしてるんです。 くだらないことをして、それが嫌いなら嫌いになってもらったほうがいいです。 私の本当の性格を好きな人に近くに集まって欲しいと思っています。 そうじゃなければ、1人のほうがいいです。 みなさんも、自分の性格を出して、その性格を好きな人が近くにいたらいいな、と思います。 「花子がなぜ時々ユーチューブ動画でバカになるのか?」というとこれだった、という「深イイ話」でした。(そうか?) 音楽はこれで: 続きを見たい人は、「イイね」ボタン押してね! 「イイね」ボタンは、花子のユーチューブチャンネルコミュニティ欄から!…

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(24)グリーンカードの取り方

私はカナダからアメリカに引っ越すことになったのだが、まずビザの問題があるのである。 これからアメリカに嫁ぐ女子たちには気をつけていただきたい。 なぜかというと私は強制送還されてしまったからである。 アメリカへ嫁ぐ女子、注目〜!ここ重要〜! 考えてみると、当時私は日本人。 カナダへは駐在員ビザで行きました。 まず、引っ越したときの予定はこうでした。 (1)カナダからロサンゼルスに行き、ロサンゼルスで1週間過ごす。 (2)ロサンゼルスからハワイに行き、結婚式を上げる。4日過ごす。 (3)ハワイから日本へ新婚旅行(商社の本社へ挨拶。私は商社の取引先の娘)1週間過ごす。 (4)日本からロサンゼルスへ引越し。(新しい生活が始まる) ロスでグリーンカードの申請をしようと思ったが、海外に出たりでタイミングが難しいので、Mariage certificate(結婚証明書)だけをとった。 結婚証明書とグリーンカードは別物です。グリーンカードがないとアメリカに住めません。 そして、ロスーハワイー日本に行った まではよかった。 しかし問題はここから。。。 私はカナダから来たと思っていたが、パスポートは日本だから、日本からアメリカへの往復チケットがなければ行けなかった。 なぜかというと、グリーンカードをとっていない私は、とりあえず観光ビザでアメリカに入らないと行けなかったからだ。 しかし、カナダから航空券を買ったものだから、そこまで頭が働かなかった。 でも、チェックインの時に言われたのだ。「帰りのチケットがないと入れませんよ」 すると、父が、「結婚証明書を見せればいいんだよ!」といいます。 私は、「いや、ちょっと無理じゃない?」といいましたが、父は譲りません。 軍司令などやっていた頑固な父を、25歳の娘がどうやって説得できるのだろうか? 日本からアメリカに入ろうとした時、移民局で、「帰りのチケットは?」と聞かれました。 そして、私の答えは「ありません。。。」…

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(25)「何もできない私に気がついた私」

なんだかんだといろいろあって、強制送還になって日本に帰ってきたのですが、アメリカ大使館に行ってグリーンカード申請をしたのですが、すると2ヶ月くらいですぐにグリーンカードが取れました。 その頃、妊娠していたので、そのことを書いたからなのかどうか? 父がアメリカ大使館に知り合いがいて、早くしてくれるように頼んだとか頼んでいないとか? とにかく、3ヶ月後にはグリーンカードを取って、アメリカに戻りました。 グリーンカードというのは、アメリカで申請すると2年の期限つきの、なんかインターンみたいなビザなのですが、日本からグリーンカードを取ってアメリカにいくと、その期限つきがなく、10年のグリーンカードが発行されます。 ということで、3ヶ月後にはアメリカに戻りました。子持ちししゃもの状態で。 その後のことは、このシリーズのどこかに書いたよね? そこに今やっと戻ります。 私は、その英会話学校の中では地位をあげ、豪邸にすみ、「人生ゲームのゴール」に到達したと思っていたのですが、 アメリカに行ってみたら、英語も対してできない、経理もできない、できるのは「営業」だけ、という状態だったことに気がつきました。 アメリカでは妊娠していても働くのは常識らしく、日本人はそうでない人が多いのですが、とにかく、カナダで豪邸に住んでいた私は、最初の仕事が誰にでもできる電話オペレーターだったのですが、子供もいるので楽な仕事がいいとは思ったのですが、ブライドずたずた、悔しくて仕方なかったことを覚えています。。。 続きを見たい人は、「イイね」ボタン押してね! 「イイね」ボタンは、花子のユーチューブチャンネルコミュニティ欄から! (ゴールを目指して、100人いいねが続く限り、多分続く)

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脱サラシリーズ (22)カナダの駐在員生活

最近、巨大な組織と戦っていて、つい脱サラシリーズを書くのを忘れてしまいました。 どこまで話したんだっけ? そうそう、英会話学校のマネージャーとしてカナダに赴任したときの話ですね。 家は豪邸、お風呂にはジャグジー。ご近所さんはシルベスタースターローンですよ。 豪邸からバンクーバーダウンタウンにあるオフィスに車で行くのですが、ダウンタウンに行くときに海に橋がかかっていて、空気は綺麗だし、朝日は綺麗で「人生ゲームでゴールした」と思いました。 高層ビルの中にある学校、オフィスに着くと、本場のスターバックスでトールラテを買います。 私は当時は20代半ばの女子ですよ。 先生はみんな年上のカナダ人。生徒はほとんど日本から留学してくる18歳から25歳くらいの日本人。 つまり、自分とあまり変わらない年代の生徒たち。 いろいろ前任のマネージャーに仕事を教わるのですが、引き継ぎは3日だけ。 小切手なんてルパンが闇金をもらうときのものだと思っていた私は、「小切手書いて」と言われてもどこに何を書いたらいいのかもわからない。 電話も英語でかかってくるけど、当時は英語もそんなに話せなかったのでドキドキするし。 仕事はやっぱり営業なんですが、その上日本からやってくる生徒たちの世話もしなければいけません。 みんな仲良しで、楽しそうです。 私はなぜか生徒たちに「アライグマに似ている」とからかわれ、朝オフィスにくるたびにアライグマのぬいぐるみが生徒からプレゼントされていました。 しかし、解放感からか、18歳くらいの子たちが付き合うのはいいんだけど学校のソファで限度を超えてイチャイチャするので、先生が「学校でイチャイチャ禁止」みたいな貼り紙を貼っていました。 駅前留学から日本人ばっかりの英会話学校に通うことにちょっと「それでいいのか?」と思いましたが、まあホームステイはみんなしているし、カナダ人のホームステイファミリーと英語で話すからいいのか、と思ったら、イチャイチャしていた18歳の男の子と女の子が「アパートに一緒に住む」と言い始めました。 花子は思いました。 「日本離れて、ここは無法地帯か!?」 その男の子はカナダの高校に行く予定だったのに、それもやめると言い出すので説得しましたが、変わりませんでした。 私は心配だし、とりあえず未成年だから親に電話で連絡して、高校に行かないで18歳で同棲すると言っているんですがどうしますか?と言ったら、「ほっといていいです」と言われました。 その子たちを金曜日にはフィールドトリップとして、ホッケーに連れて行ったり、 映画に連れて行ったりも仕事だったので、その手配も大変です。 しかも、日本と同じようにターゲットの売り上げもあるし、その上カナダでは経理もしなければいけませんでした。 私は一つのビジネスとして経理をつけるようなことをしたことがなかったので、全然わかりませんでした。…